桐生教会について
『鐘楼のある聖堂』
お御堂外観  この聖堂の外観はロマネスク風建築の流れ、内部の尖頭型アーチまた、窓枠等はゴシック様式が取り入れられた鉄筋コンクリート造りの建物です。延面積330.4u、建物高さ10.8m一部2階、塔は4階で屋根上の十字架までの高さ約20mあります。
設計は鈴木正治氏、ドイツ人建築技師(ブカルド・ゲイマン、イエズス会修道士)の監督、施工は鍋栄組で、昭和33年(1958)6月に竣工しました。大聖年(西暦2000年)を機に設置されたライトアップにより、夜空に映える鐘楼はひと際清々しく感じられます。
また、毎日曜日のミサの度に鳴り響く鐘は、遠く黒金教会(釧路)より寄贈されたものです。

お御堂内部 『教会の歴史』
 明治39年(1906)フランス人宣教師によって本町四丁目近藤源造宅にて桐生で最初のミサが献げられました。大正元年、近藤氏はカネコヤ糸店を開店し、その2階で昭和初期まで巡回して来る神父によりミサが献げられていました。やがて教会建設の気運が高まり、昭和8年に現在地を選定、昭和13年(1938)10月、松井組の造営により仮聖堂の落成を見、同11月に献堂式が行われました。昭和14年エルネスト神父が着任、信徒数も増え宣教活動も隆盛になって来ました。しかし戦雲低迷し、エルネスト神父は敵国人として強制収容の憂き目に合いました。戦後、昭和22年、同神父が帰任。また近藤源造氏が帰天。昭和24年、仮聖堂を2倍の広さに増築したが信徒数も倍増し、昭和33年(1958)、正式聖堂としてこの建物が建立されました。20年間使っていた仮聖堂は信者館に改装しその後一時愛児園(保育園)と併用されました。
 築80年の信者館は、平成30年(2018)4月、全面的改修工事も完了し、名称も信者館からヨハネ館(洗礼者)となりました。
 正門の御影石柱に刻まれた文字「天主公教会」はカトリック教会の昔の名称です。

『桐生教会とその仲間』
 カトリック桐生教会は、「さいたま教区」に所属しています。
また市内のカトリック系の施設として、当教会から約3km西の堤町に、旧聖フランシスコ修道院が現在は、さいたま教区桐生研修センター「フランシスコの家」となり敷地内の野外にある十字架の道行は、何時でも礼拝出来ます。第1〜15留までの石像群の等身大規模のものは他に日本国内にはないと思われます。(一度必見)
 また、川内町には 聖クララ会大修道院(女子)があります。
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